禁パチを楽しむ

2018年6月13日水曜日

依存症

t f B! P L


ネガティブだから続かない

前回は「禁パチは我慢してはいけない?」という話を書いてみました。
我慢するという事は感情を抑え込んでコントロールしようとしている訳で、どこかしらストレスがかかっているという内容でした。

もともとギャンブルで負け、後ろめたさや反省、後悔が禁パチの基礎となっているので贖罪の意味も含めてネガティブな気持ちになっても致し方ないと思います。

そこにスリップという自己嫌悪に陥る要素が加わり、更にネガティブになってしまう...。

ネガティブな感情は禁パチを行う上で無駄なストレスとなり我慢してしまう。

正に負の連鎖ですね。

私も何度も何度もスリップを繰り返し、心身ともにボロボロになってしまいました。

その度に「何故続ける事が出来ないのだろう...?」と悩み、自分を嫌いになり、大きなストレスを抱えています。

私が今考えている事は、前回の我慢をしないという事に加え、「何とか禁パチを楽しめないか?」という事です。

禁パチを楽しむとは?

禁パチ関連の書籍やSAGSなどの支援サイトでも同じように書かれていますが、禁パチとは最初が一番辛いという事です。

禁パチを始める時は「さあ頑張るぞ!」モチベーションが一番高いはずなのに、そのタイミングが一番辛いとは心が折れそうな話です。

そんな事を考えると禁パチとはスポーツに似ているなと思うようになりました。
特にマラソンや筋トレの様にコツコツと積み重ねて結果を出すあたりは同じではないでしょうか?

私は数年前に全くの未経験からフルマラソンを完走しました。
学生時代、部活動で球技を経験していましたが持久走など長距離走は本当に嫌いでした。

ただただ走り続ける事に何の魅力も感じられなかったのです。
今思えば学生時代は“球技で点を取る”みたいに結果だけを求めていたのかも知れません。

それから20年以上の時を経て、大人になった今では過程を楽しめるようになりました。
フルマラソンの時は42.195kmという経験した事の無い距離を走る事にワクワクし、ギアを買いそろえ、練習を始めました。

ところがです、当たり前ですが全く走る事が出来ません。
必死に走っても、自分より遥かに年上のオバさんにあっさりと抜かれ、1km走る事すらままならず、最初は本当に恥ずかしい思いをしました。

暫くは人に見られる事が恥ずかしくて、夜中の人気の無い時間を選んでジョギングしていました。

そこまでして続けられた理由としては、マラソン大会という目標が有ったからです。

練習も大会当日までを逆算してプランを組み、雨の日以外はなるべくプランに沿うように走っていました。

長い距離をただただ走るだけなのに練習の距離が伸び、長く走れる事が自信となり、周りの景色などを楽しむ余裕も生まれた頃にはジョギングする事が日常の一つに組込まれていました。

最初は1km走る事すら大変だったのが、5km、10kmと練習の距離が伸び、数ヶ月の練習で無事フルマラソンを完走する事が出来ました。

私の場合はジョギングでしたが、筋トレをして腹筋が割れたとか、ギターを弾けるようになったとか、RPGゲームをクリアしたなど何かしら似た様な経験は有るのでは無いでしょうか?

それらは誰かに強要された事では無く、自分から進んで行った経験だと思います。
最初は挫折しそうになったでしょう。
でも目標が有ったから頑張れたのだと思います。

そういった経験を禁パチに置き換えてみれば少しは楽しく過ごせるのでは無いかと思います。





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profile

40代妻子持ちサラリーマン。

パチンコが元で600万円を超える借金を抱えてしまったギャンブル依存症&多重債務者。

2018年8月28日より禁パチ続いています。

ギャンブル依存症の怖さや克服の方法を模索しながらブログを書いています。

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禁パチの準備をする 今更ですが私は重度のパチンコ(ギャンブル)依存症です。 休日こそ家族と楽しく過ごしていますが、平日は残業だと嘘をついて毎日のようにホールに通っていました。 何度も何度もスリップを繰り返し、自己嫌悪に陥りながらもまた禁パチを始める......

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