私とパチンコの関係

2019年5月24日金曜日

依存症

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*写真はイメージです

私の人生とパチンコ


私は今年で40代半ばになります。

そんな年齢だけは立派な中年である私ですが、パチンコホールに日常的に通うようになってしまったのは三十路を過ぎてからです。
一般的にはかなり遅いデビューなのではないでしょうか?

気がつけば平日はほぼ毎日、ひどい時は出勤前と退社後のダブルヘッダーと、パチンコホールに足を運びました。

そんな重度のギャンブル依存症になってしまった私ですが、昨年の夏に始めた禁パチですが、あっという間に250日を超えました。
最近では衝動も無く、借金の返済以外は全く平穏な毎日を過ごしています。

常識的な金銭感覚であればいい歳をしてギャンブルなんかで多額の借金を背負うこともなかったのでしょうが・・・今更です。

今回は少し趣を変えて、私の人生を振り返ってみようと思います。
(とは言ってもパチンコに関してのみの話ですが...。)

パチンコを愉しんでいた祖父

先にも書いたように、私がパチンコを打つようになったのは30を過ぎた大人になってからですが、パチンコとの出会いは40年ほど前に遡ります。

昭和50年代、まだ幼稚園にも通っていなかった頃の私は、私の家に遊びに来ていた祖父に連れられてパチンコホールに遊びに行っていました。
今では非常識な話ですが、当時はリビングではもちろん、電車や飛行機の中でも喫煙できていた時代だったと考えると、全てにおいてモラルの低かった時代でもあります。

田舎の山の中に更に祖母と二人で住んでいた祖父は、私や兄弟など孫の顔を見るために我が家に遊びに来ては、パチンコホールに足を運んでいました。

祖父にとってはマスコット扱いだった私。
連れられて行ったパチンコホールでは、働くおばさん達にアメ玉を貰ったり、遊んでもらったりと変な話ですが良い想い出しか残っていません。

特に印象に残っているのは、当時流行っていたキャラクターのぬいぐるみを景品で貰ったということです。
そのぬいぐるみには長い間お世話になりました(笑)

私は幼かったので実際はどうかわかりませんが、祖父も愉しむ程度の遊戯でしたし、パチンコに対してはそれほどネガティブな印象はありませんでした。

そんな私が“ギャンブルの恐ろしさ”というものを考えざるをえない出来事が・・・。


ギャンブルが原因で犯罪者となった父

私は幼少期、母子家庭でした。
両親が離婚する際も「長期の単身赴任」という両親の巧みな嘘?で、幼かった私は父親が居ない生活についても特に疑問を持たず過ごしていました。

まぁ、その嘘も私が成長するに伴ってなんとなく気づいていくのですが、真面目だった母が離婚をきっかけにホステス業をしながら私や兄弟を女手一つで育ててくれていたので、特に母親を責めることも質問をしたりすることもありませんでした。

しばらくは風呂なし共同トイレのボロアパートで貧しい生活をしていた私はこの頃から「お金」というものに固執するようになったのかもしれません。

青年となり、一人暮らしをはじめた私は母親と色々なことを話し合える関係になっていました。

ある日、ふいに母が父の話をはじめました。
二人の共通の知人から父が癌であるという連絡があったという内容でした。

末期では有りませんでしたが、「病気が病気なだけに子供(私)に会いたいと言っている」と言われ、考えました。

父親については顔をうっすら覚えているかどうか程度の記憶でしたので、会ってみたいという気持ちもありましたが、急な話でしたので戸惑いもありました。

そして母は父との離婚について話を続けました。

離婚の原因は父のギャンブル癖でした。
パチンコにハマった父は借金をし、返済に行き詰まった挙句、当時勤めていた会社で横領をして逮捕されたということでした。
しかも母が借金の肩代わりをし、決して余裕のない生活のなかで何年もかけて返済をしていたと言うのです。

ギャンブル依存症となった今でこそネットニュースなどで同様の事件や、更に辛辣な事件に注目することが多くなりましたが、その当時の私は母からの告白に大きな衝撃を受けました。

同時に犯罪者となり、離婚後も母を苦しめた父を軽蔑し、会うことも止めることにしました。

私も父と同じ道を歩みはじめた

そんなこともあり、ギャンブルに対してのイメージが180度変わってしまった私ですが、まさか自分がパチンコにハマり、父親と同じ道を歩み始めるとは思ってもいませんでした。

父親の事件もあり、ギャンブルというものに対して嫌悪感もあったのですが、逆に「自分は父のようにはならない」という自信も有りました。

今思えばその甘い考えがプライドとなってしまったことで、ギャンブルに溺れる毎日でも自分が依存症であるということを認めなかったのでしょうね。

最初にも書いたように、私は三十路を過ぎてからギャンブル依存症という病気になりました。

20代の頃にも何度かはパチンコを打ったことがありますが、ほんと数年に1回、投資金額は2〜3000円というレベルです。

もちろんあっという間に無くなってしまうくらいの額です。
ただその頃は負けてもいい額での「遊び」だったので、「あ、やっぱり勝てなかったな」くらいの感覚で、宝くじを買うことと同じようなイメージでした。

それがたった一度、本当に一度だけ数万円勝つと、成功体験が刷り込まれ、何度負けても「今度こそは勝てるハズ」といった風に感覚が180度変わってしまいました。

10回負けても1回勝てば「ほら!やっぱ勝てた!今日打たなかったら負けたままだった!!」という屁理屈を言い訳として罪悪感を薄めていました。

一月に20万円負けて10万円勝つ・・・みたいな生活でした。
まるで真綿で首を締め付けられるかのように徐々に金銭感覚も麻痺し、借金も増え続け、毎日のルーティーンのようにパチンコ通いを繰り返していました。

徐々に危機感や依存症であるということを意識し、書籍やSNSなどで依存症について調べはじめました。
それでも直ぐにはやめられず、何度も何度もスリップして苦悩の日々を送りました。

そんな私も禁パチを始めて9ヶ月が過ぎようとしています。

幸い?父のように犯罪には手を染めていませんが、あのままパチンコを続けていたらどうなっていたでしょう?
可愛い子供や妻とも別れていた可能性も高かったでしょう。
犯罪を犯していたかもしれません。

それだけは今は亡き父が天国から止めてくれたのかもしれませんね。

profile

40代妻子持ちサラリーマン。

パチンコが元で600万円を超える借金を抱えてしまったギャンブル依存症&多重債務者。

2018年8月28日より禁パチ続いています。

ギャンブル依存症の怖さや克服の方法を模索しながらブログを書いています。

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禁パチ実践|準備篇

禁パチの準備をする 今更ですが私は重度のパチンコ(ギャンブル)依存症です。 休日こそ家族と楽しく過ごしていますが、平日は残業だと嘘をついて毎日のようにホールに通っていました。 何度も何度もスリップを繰り返し、自己嫌悪に陥りながらもまた禁パチを始める......

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